Keishythm

人間らしくちゃんと生きたい何かの、足跡です。

じゅんくん

ぼくが一年生のときに来た君は

まだまだ手のひらサイズの小さい奴だったっけ

今じゃすっかり老いちゃったね

病気で顎がゆがんでね

毛並みも鱗のようにすき間があいて

持ってもすごく軽くなってしまったね

協力隊の訓練中 もうだめかもって連絡がきたけど

僕が終わって帰ってくるの 待っててくれてありがとう

そして

たぶん君が一番辛いときに そばにいれなくてごめんね

今日が君といれる最後の日だよ

ほんとにごめんね ありがとう

希望のつくりかた

希望の党が作られましたね。日本には希望がないってね。それで今回紹介したいのは希望をつくるための本です。

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b226057.html

この本は色んな切り口で希望を捉えようとしています。そのうえでどのようにしたら、あるいはどのように構えていたら希望を持ちやすいかを考えてくれています。それらがとても協力隊の人達といて感じられたので、協力隊の紹介もこめて書いてみます。

著者は希望には、「可能性」「関係性」「物語性」があるとまとめています。

可能性は分かりやすいので簡単に。自分にとって本当に大切な何かを、自分の行動によって実現しようとする、あるいは思えることです。あれもこれもって色々欲が出ちゃいますが、実現させるために行動できなかったら、あるいはそうしようという気に本当はなれてないのなら、それは「願望」なのです。本当に大切なことに気づき、そうであるならばそこに向かって行動することに希望がある。協力隊の人達は別に特別な人ばかりじゃないです。ただ勇気を出して自分を変えようとやってきた人達だから、先が見えていないようでも希望がある。むしろ希望は、見えないからこそそれを見てみようと行動し続けることに希望はある。

関係性については、ウィークタイズを持とうと言います。弱い繋がりってなんぞや?具体的に言えば仕事に直接関係のない友人の存在や、遠くにいてたまに会うくらいのゆるやかな信頼でつながる関係の人達がいること。なぜか。本書ではあまりはっきり書いてないけれど、協力隊でウィークタイズができて思うことは、みんなが自分にできないことを教えてくれること、素直にみんなを頼れること、色んな人が色んな生き方をしていて、色んな発見や影響を相互に与えあっていると実感できることが大きい気がしました。あと、遠いところでみんなが頑張ってると思えることも、僕にとっては希望です。

さあ最後、物語性!キーワードは「挫折」「修正」「無駄」です。

物語には挫折がつきものですね。個人的には人生で一回くらい死にたいと思わないと本当に大切なことって分かんないじゃないかなと思いますが、とにかく挫折をして、それを語れるくらい乗り越えることが大事です。

挫折した時にじゃあどう乗り越えるか。それまで描いてた将来や希望を「修正」していいんです。絶望したらその底辺、原点に立ちかえって、本当に大切なことを思い出す。それをベースに将来を描きなおしていいんです。何度も何度も。それは希望が目に見えない、形のないものだからできることです。協力隊を志望してくる人は不器用だけど立派な人がたくさんいました。色んな失敗体験を自分のものにしてきている人達だからこそ、チャレンジングな場所を選んで来れる。

そしてみんな言うんです。「無駄」なことは何もないってね。点がいつどこで繋がるか分からないから、色んなことをしようってスティーブ・ジョブズも言ってましたね。スピッツも「余計なことはしすぎる方がいいよ」って言ってます。(「運命の人」)

とーってもいい本です。簡単でスラスラっと読めてしまうから大事なことを言ってるのに流れていっちゃうのが惜しいけど。「夜と霧」にも通じるような、そして宗教性にも通じるような。

失敗を恐れる、そして許さない日本人に広まって欲しい考え方です。

Ces't la vie

青年海外協力隊の訓練を終えてきました。

 

  今回の訓練、共同生活で印象に残ったのは「話し合い」が足りなかったということでした。時間とか回数もそうだけど質的に。それは隊員のせいではなくて、ほとんど自分のせいなんだけど、話し合い方がまず上手くないのとその場づくりが上手くない。相手を知らないとやっぱりどこから話したらいいか分からないし、どこまで話していいかも分からない。その場やその人にとっての自分の立ち位置やこれからの身の振り方を考慮して、今自分が言うべきかどうかも考えなくちゃいけない。もっと自信をもって?と言う人がいそうだけだけど、それだけじゃない。

  話し合いのゴールを、何かの解決や何が正しいかというラインに持っていきすぎるが故に自分の局所的な視点で物を言いすぎたり、それを一意見として以上に受け取る人や何も言えなくなってしまう方々が多いように私には見えました。そして結局はそれぞれの価値観だねって終わるのでした。「多様性」というもっともらしい言葉を使いながら、他人の他人らしさを積極的に受け入れようとする「多様性」ではなく、問題が起きないようにする消極的な「多様性」になっていたと感じました。「多様性」は、それぞれの個性の特殊性を認めながらも、それが表れる前の出発点や岐路はどこなのかということを確認することをゆるやかに目指すための合言葉ではないでしょうか。多様性と言うのはもっともっと大大大前提で、そこを今更強調して「分かり合えないね残念」というのはあまりにも相対的に人を判断しすぎていて浅はかだと思う。

 

  私が尊敬したり、信頼したりするのは正しいことを言ったり大人びたことを言う人ではありません。その人の「その人らしさ」が見えて、それを自分の中で許し受け入れることを「尊敬」と呼び尊敬しようと思うし、私の私らしさをまず受け入れてくれることを「信頼」と感じ信頼します。それができるのが「対話」で、そのゴールはいつも「相互了解」なんです。お互いが腹のなかに持っているものを「了解」しあい、「判断」を待つ。判断したり評価してしまうとどうしてもそこで止まってしまうから誤解が生じる。了解といっても、人の話を聞けば何かしらの影響は受けるし、時間が経って落ち着いたり、統合の道が見えることもある。他人と完全に分かり合えることなんてないのだから、常にさらなる対話を待つような動的なものの見方で話し合う力や時間がもっとあったらよかった。どうして意見の違いが表れるか、どんな情報の差、世界の見え方に違いがあるか、それを感じ取って互いに「確認」する時間と言葉が決定的に足りなかった。。。確かに判断を待っていられない場合や決断をしなくてはならない立場の人もいます。今の北朝鮮とのことのように。でも恐怖や怒りでそのタイミングを間違えてはいけない。もう待つところまで待ってだめなら、もう駄目なんだ。相手を殺そうが自分が殺されようが同じことで、負けなんだ。そこまで行ってしまったらもう負けなんだ。だからそこまで行く前にどれだけ話し合って多くの意見を聞き、「それは違う」ではなく「どこがどう違う」のかを確認し、同じ出発点であることを分かちあうことが大事なんだ。

  分かってるふりをして、大人のフリをして、何もしない評論家たちはツイッターだけでなく至る所で蔓延している。安全な場所もっともらしいことを言えるのは余裕があるからで、本当に差し迫った状況の中で適切な決断を試みるのがいかに大変か、訓練内容のひとつである貿易ゲームという資源の奪い合いゲームで、最貧国の大統領になって感じました。北朝鮮だって本当にばかげていると思っていたけれど、もしあのゲームのようにその場にいて何もできず何も信じられず、世界を壊す力と決定権があったなら、私もそれを武器にしたと思う。

  本当は多様性と普遍性の間の緊張のなかに、すべての人がいつでもどこでも立っている。どんなに近いと思う人も決定的に根本的に他人で、そこから目を背けずに生きていけば、そりゃあいろいろ辛いしカルチャーショックだらけなはずだと思う。

  訓練中本音で話すことができた数少ない人のひとり、「ces't la vie(それが人生)」が口癖の語学の先生は、英語を学ぶつもりだった私に、英語を通して、物事を透かし見る力や様々な立場からの視点を、クラスメイトと真剣に話し合う場を設けることで教えてくれました。そして議論が詰まると「ces't la vie」と一旦区切ってくれるのでした。同じ日本人でさえ、世界の平和を願う人間同士でさえ、意見の違いがはっきりしている。その緊張感のなかで話し続ける強さとともに、世知辛さや自らの小ささを許し受け入れるためいきのような言葉が必要で、それが「ces't la vie」だと思う。

  先生はこのボトムラインをわきまえているから、割り切って多くの意見が出るようにファシリテートできる。なんの解決にもなっていなくても、白黒付いていなくても、私はクラスメイトの価値観の違いを知るための話し合いができたことそれ自体がすごく有意義で、彼らを信頼し尊敬でき、自分の居場所がそこにできた。世の中にはそもそもその「それが人生さ」と言いたくなるような事実を分かっていない、見ようとしない緊張感のない人が多いのかもしれない。それはそれで幸せなのかもしれないけどいつまでも続きはしない。わたしはそれよりも愛のある言葉とともに、力強く緊張の中を生き抜きたい。

おかしいね

なんで歩くの

足があるから

何で食べるの

おなかがすくから

何で笑うの

あなたが笑うから

じゃあどうして泣いてるの

どうしてだろう おかしいね

 

谷川俊太郎 「いのち」

サバンナに立つ象の足元
アリが一匹迷子になっている
太平洋の青い深みで
イワシの群れが銀にひらめく
コンクリの割れ目に咲いて
たちまちに踏まれた花も
大空に輪を描くトビも
みんないのち いのちをうたう

いのちがいのちを奪うときも
いのちからいのちは生まれ
いのちがいのちと争うときも
いのちはいのちとむすばれている

ホモサピエンスであるより先に
ヒトもひとつの無名のいのち
生きとし生けるもののふるさと
地球は生きていのちを育む

のびやかに地を蹴るいのち
ひたむきに夢見るいのち
いま響くこの歌声も
みんないのち いのちをうたう

居場所

わたしのいる場所

 

それは温かく迎えてくれるような心のつながり

 手を繋いで 笑いあって

 時に泣いて抱きあって

 交わした言葉 思い出の場所

 おかしくってうれしくて

 寂しい心が 帰りたくなる場所

 

 

 わたしのいる場所

 

それは冷たく寄り添うようないのちのつながり

 倒木に芽吹く雑草 死んだ魚に群がる虫たち

 獅子に噛まれてじっと死を待つ子鹿の目

 情も正義も理性もない いのちはいのち

  風と同じ 星と同じ 山と同じ

 吹き抜けて 輝いて 静かにずっとそこにある

  深呼吸して 感じたそこがわたしの生きる場所

We are all drops in the same river.

わたしたちは 気づけば

ながいながい流れのなかを

あてもなく漂ってきたしずく

 

ひとつでは流れていけない

くっつきたがりな 

小さなしずく 寂しいしずく

 

けれど わたしは

みんなで ひとつの川になる

しずくであって 川である

 知らないうちに 100億年流れてきた

宇宙の一部で 宇宙そのもの 

 

いなくなった人も

これから生まれてくる人も 

わたしとして みんなとして 

この川として

 まだ/もう 一緒に流れている